東邦レーヨン揖斐川工場の思い出
私は高校卒業後、岐阜県にある東邦レーヨン揖斐川工場において
3年間の学生生活を送りました。いわゆる勤労学生ってやつです。
短大や専門学校に通いたい人たちが日本全国から集まり
工場、社宅、寮などが1つになった敷地の中で共同生活を送りながら
交代勤務の傍ら、学校にも通うという場所でした。
繊維業界の衰退などに伴い、勤労学生というシステム自体が無くなってゆき
私の世代ぐらいがほぼ、勤労学生最後の世代になったと聞いております。
卒業後、私は遠く離れた地元へ戻り
その後なかなか岐阜県へ向かう機会もなく過ごしていましたが
平成28年5月13日、余暇を利用し、懐かしい土地を訪れてみたわけです。
現在は東邦テナックスという会社になっており、元社員と言ってもタダの部外者なので
寮や社宅付近を歩かせてもらえて、少しだけ懐かしい気持ちになって帰れたらそれで良い、
と思い訪れたのですが・・・なんとこの時まさに、社宅や寮の解体工事中であるとのこと。
老朽化や、現在の耐震基準を満たせないことなどの理由から
最も古い第一工場も含め解体されるとのことで
すでに数年前から、社宅や寮には誰も住んでいないと教えていただきました。
取り壊し後は、社宅や寮を建て直すわけではなく
収益事業として、土地の有効活用を図っていくとのお話でした。
つまり、工場と生活が共にあったこの場所は、もうなくなるということです。
この工場の操業開始は昭和27年。
私が在籍した時にも、すでに古さは感じていましたが・・・
偶然にも私はこの工場の歴史の、一つの終焉の姿を見に訪れることができたわけです。
私と同じように、ある意味青春と呼んでもいい時期をここで過ごし、そして卒業し
また全国へ散り、その後この土地を再度訪れる機会が無いという方々は
全国にたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
そういう方々が、今後何かの機会にこの土地を訪れたとしても
懐かしい風景や建物は、ほぼ無くなってしまっているということになります・・・
せめて私が見てきた、まだ懐かしい面影を残した最後の姿を
少しの写真のみではありますが、記録としてここに残すことで
この場所で生活されたことがある方々に、郷愁のおすそわけができればと思います。
正門です。左に事務所建物が見えます。
女子寮は門限が厳しかったですね。時間ギリギリに駆け込んだ覚えがある方も多いのでは。
正門から少し入ったところ。
この屋根のある通路の右方向が売店や女寄(女子寄宿舎の略)、左が工場や食堂でした。
右側は工事のための幕が設置されています。
女寄入口前から正門方向。
ここは学校への送迎バスが停まる場所でした。
卒業の時には、ここにずらりと並んだ後輩たちに見送られながら
この地をを後にした思い出がある方々、たくさんいると思います。
正門横の守衛室あと。現在は無人でのインターホン受付になっているようでした。
自転車レンタルが1回30円だったのを覚えています。
自転車置き場からグラウンドの方向へ歩くと見える、女寄の建物。
取り壊し工事を待つばかりで、閉鎖されていました。
女寄に近寄ってみたところ。いい感じに廃墟感が出ています。
ここで過ごした人たちは、通算で何百人、いや何千人?
グラウンド跡。木もほとんど抜いてしまった後とのことで、荒れ地状態です。
中央に見える4階建ては、私がいたときは女子寮でした。
左は女寄の壁、その奥に見える平屋は大浴場だった建物です。
正門の外から、第一工場の姿です。
段々になった、明かり取りの窓のある屋根が特徴的です。
こちらも老朽化と耐震基準の面から、取り壊しが決まっているとのこと。
手前には、クラブと呼ばれる独身寮兼来客用宿泊施設がありましたが
すでに取り壊され、駐車場となっていました。
揖斐川堤防上から、男寄(男子寄宿舎)と社宅の姿。
工事中につき、あまり自由には敷地を歩かせていただけなかったので、せめて外側から。
揖斐川堤防上から、男寄の階段側の風景。
男寄の駐車場だった場所に見える車は全て工事用の車両で、すでに住人はいません。
揖斐川堤防上から、社宅方面。
木はほとんど抜かれ、山積みにされています。
テニスコートの木や、食堂脇の梅の木なども、この日のほんの数日前に抜かれたそうです。
揖斐川堤防上から、食堂の方向。中央に見えるのが食堂だった建物です。
木に隠れている右手の奥側が、ニット工場や第三工場だった方向です。
発電施設の煙突も見えます。ここで電気と共に生産された蒸気は
敷地内の給湯や暖房にフル活用されていました。
工場敷地の写真はここまでです。
ついでに付近を散策してきましたので、その写真も少し。
最寄りの駅、広神戸駅です。工場から歩くと、ソコソコ遠かったイメージ。
連休などに、この駅から帰省の道につくときの晴れやかな気持ちは忘れられません。
もちろん、戻ってきたときのあの気持ちも。
広神戸駅前、神戸町案内図。
「ごうどちょう」。ゼッタイに読み間違われる地名日本一かも。
大垣女子短期大学です。
歯科衛生士コースや幼児教育科の人たちはここに通っていました。
前の道路は拡張され、片側二車線道路になっています。
もう一つの学校、情報処理系の日本総合ビジネス専門学校。通称ニッセン。
少しだけ校内を見学させていただけましたが、現在はCGデザインや
まんが・アニメコースなどもあるとか。玄関上のガラスにはイメージキャラが見えます。
校内には、イラストや同人誌の展示スペースなどもできてました。
知る人ぞ知る、ニッセンの領家キャンパスと呼ばれていたところ。
ここも何かの工事中で、中には入れませんでした。
大垣駅前も少し歩いてきました。
広神戸駅に向かう電車に乗るには、この建物の左手にある乗り場から。
駅ビルのアピオという文字を見て、すごく懐かしい気持ちに。
当時には食べる機会なく終わってしまっていた、水の都大垣銘菓、水まんじゅう。
駅前の和菓子屋さんで、緑茶付きセットをいただきました。
暑い日だったので、冷たいお茶とお菓子が嬉しかったです。
水まんじゅうとは、わらびもちの中にあんこが入ってるような感じとでもいうか・・・
20年越しで味わうことができました。おいしかったですよ!
写真はここまでです。
東邦レーヨン揖斐川工場で検索しても
あまり画像などが見つからなかったことを寂しく思い、このページを作りました。
この場所を懐かしく思う方々に、何かの機会にたどり着いていただけたら幸いです。
私が在籍していた頃は、既に繊維業界は斜陽であったとはいえ
この場所で生活している人たちはたくさんいて、学生が多いため平均年齢も若く
一つの小さな町という感じもあり、なんだかんだで活気がありました。
今回訪れてみて、やはり感じたのは「人がいない、寂しい・・・」ということです。
楽しかった思い出も、つらかった思い出も、出会いも別れもたくさんあったこの場所。
その歴史が終わることを肌で感じ、少し感傷的な気持ちにもなりました。
先に書いた通り、すでに解体作業は行われており
OBやOGの方々が今後ここを訪れても、
残念ながら懐かしいものはほとんど見られないかもしれません。
敷地内を流れていた、桜の咲く小川だけは
あまり手を加えることができないというお話でしたが・・・
それでは皆さま、お元気で。
※2019年2月26日 追記
2018年の春、名古屋へ行く用があり、少し時間があったので
取り壊された跡の姿をついでに見て帰るかなぁと思い、再びこの地を訪れてみました。
一部を残してきれいさっぱり、更地になっておりました。
写真も撮ってきたんですが、スマホのトラブルによる初期化により
残念ながらこの記事に追記する前に全部消えてしまいまして。
グーグルマップのストリートビューで同じ風景が見えますので、
こちらを利用して私の見てきた光景をご紹介しておきます。
揖斐川堤防上からの風景です。
正門からまっすぐな道の並木と、小川の桜並木を残して更地になっていましたが
並木が残っているおかげか、正門あたりからの眺めは面影を残していました。
建物は無くなったものの、もしかすると懐かしい風景の一部はまだ見えるかもしれません。
撮影時期によるものだと思いますが、堤防上からは更地になった風景が、
正門側からは第一工場、女寄、クラブがまだ残った、2014年頃の風景がご覧いただけます。
スマホでも簡単に見えますので、ぜひお試しください。
60コメント
2024.06.19 12:17
2021.11.14 14:49
2021.11.14 14:06